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上野千鶴子、田房永子「上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください」大和書房, 2020

 社会学者で東大名誉教授の上野千鶴子さんと、漫画家・ライターの田房永子さんの対談本。テーマは書名の通り、田房さんが上野さんにフェミニズムについて教わるというもの。ただし、教える側の上野さんはジェンダー論の研究者・教育者だが、教わる側の田房さんもフェミニズムに関する著作がありフェミニズムに疎いというわけではまったくない。ではどういうことかというと、上野さんと田房さんは30歳差で、経験してきたものが大きく異なるのである。この本では、フェミニズムの世代間交流を通して、まずこれまでのフェミニズム運動をおさらいし、次に現在の課題や活動について語り合った後、最後に、これまでの議論を踏まえて、フェミニズムとはこういうものであるとまとめている。

 本書を手にしたきっかけは2つある。1つ目は、少し前にNHKR1「高橋源一郎飛ぶ教室」で、どういう文脈だったか忘れたが「フェミニズムは一度触れてみたほうがいい」という話があって、フェミニズムという言葉は聞きなれたものだが中身を知らないなと思って引っ掛かっていたこと。2つ目は、差別に関する本を読んでいるときに、中立の立場から説かれる一般化された差別が味気なくて実感がわかなかったこと。そこで、それなら女性差別との戦う(という理解だった)フェミニズムについて知る良い機会かもしれないと考え、本書を読むに至った。これは正解だった。

 先に、本書で語られるフェミニズムを説明すると、男女不平等で女性差別的な環境で育ったことで自身に根付く女性蔑視と戦うことである。これが、女性の場合、女性蔑視が自分自身にも向かうため、自分の自身に対する蔑視との闘いであり、自身と和解し尊重することを目指すことになる。ここからは主に女性にとってのフェミニズムの話だが、背景に社会や歴史があるとはいえ、起点はあくまで自分の自身に向かう女性蔑視という極めて個人的なものであるため、フェミニストは自らそう名乗ればフェミニストであり、その在り方は多様で、フェミニズムには正解はない。そのため、フェミニスト同士でも論争を重ねることになり、それによってフェミニズム議論は深まってきた。これが最後の20%で語られる。

  では最初から80%を振り返ると、まず、上野さんがフェミニズムに関わるきっかけになった学生運動や、田房さんのテーマである母との関係といった経験にまつわる話題が多種多様に取り上げられ、世代による捉え方の違いなどが議論される。上野さんから、これらの経験の中で感じた違和感や不快さの原因が、社会・慣習にあることが解説される。歴史を振り返ると、現在は、女性に人権がなかった頃に比べれば確かに改善されてたとはいえ、これは女性を尊重しているわけではなく、弱者である女性を強者であり既得権益者である男性と同じように扱っているに過ぎない。つまり、伝統的な男性優位の社会があり、女性は、その男性優位社会において男性と同じように振る舞うことを男性に許されている。ここで、男性は女性を男性と同じように扱うことで尊重したと考えるが、女性が求める尊重は女を捨てて男性として扱われることではないため、すれ違っている。結果、女性は社会に進出したものの、その男性目線の平等社会に違和感や不快さを感じることになっている。という流れで、色々な経験の中で感じる女性差別の起源が理解できる。

 前半の話は、読者が共感できるものもそうでないものもあると思う。だからこそ、最  後のフェミニズムは個人的な体験が出発点になる多様な考え方というのが腑に落ちて面白かった。

 日本は今も男性優位社会で、女性は男性に許されて初めて行動できるという構造は本質的には変わっていない。ホモソーシャルな社会における女性による自身に向かう女性蔑視は、マイノリティに多い詐欺師症候群と関係がある気がする。

 この構造を理解しているフェミニストは、この状況を変えるためには既得権益者=ホモソにこの問題を理解させるには気の遠くなるほど多大な労力を要することが分かっているし、手間暇かけるほど社会全体には思い入れがない。結果、フェミニストの闘いは特定の大切な相手と男女が互いを尊重する人間関係を築くための個人的なものになる。私の周囲には、そんな女性たちがいる。実は、彼女達がパートナーと多かれ少なかれ険悪になるのを意に介さず断固として闘うことについて、能天気にも家族を持つのは大変だなと思っていた。実際は、家族だからこそ闘うのであり、家族ですら闘わないと対等な家庭を築けないことが本書を読んでわかった。

 今後の男女平等な社会については、まだ考えがまとまらない。楽観的な見方をするなら、そんな闘いによって社会の最小単位である家庭にフェミニズムが浸透することで、社会全体が次第に変化するだろう。一方で、独身世帯が増えることで、身近な闘う相手がいない女性も多いと考えられる。一対一の闘いの他に、多対多の環境が発達してほしい。MeToo運動がそれだったが、日本では男性は距離を置いていたと感じる。長年の刷り込みを一撃で吹き飛ばすことはできないからこそ、多対多でも継続的に議論が続くことで、家庭とは別の面からも変化を促すことができるかもしれないと考えている。